江戸時代中期に創業
三保原屋の創業は1687年。 江戸時代中期、5代将軍綱吉が生類憐みの令を制定した頃。 当時は、静岡市内に荒物問屋をひらき、 江戸時代末期には現在の静岡伊勢丹の向かいにありました。 昭和15年静岡大火、昭和20年の静岡大空襲と、 2度の全焼に遭いながら営業を続けてまいりました。 |
荒物問屋から様々なものを販売する雑貨店へ
三保原屋の名前の由来は、正確にはわかっておりませんが、三保の松原の方の出身と言い伝えられています。 明治になり、商人が苗字を名乗ることができるようになるまでは「三保原屋 徳兵衛」を代々襲名してきました。 創業当時の三保原屋は、荒物問屋としてタワシや竹ぼうき、ザルなど、今でいう天然素材の家庭用品を販売していました。 戦後、7代目・堀達夫の頃に「戦後から復興する人たちは、楽しい生活を求めている」という気づきをもとに、生活が楽しくなるような家庭用品を販売することに。 戦争で荒んだ静岡の街に、「落としても割れない、カラフルで楽しい」家庭用品が登場し、当時の人々の心に彩を添えたのではないかと思います。 |
昭和20年代の三保原屋本店の様子
親族に大工の関係者がいたため、戦後からいち早く営業を開始することができました。 電話が普及しはじめた頃で、電話番号は821番でした。 |
7代目の堀達夫と、妻の光枝。 | 時代に合わせて、「荒物屋」から「家庭用品店」に変化をしていきます。 |
当時は「^」と「小」を組み合わせた「やまこ」を屋号としていました。 | 店頭でロープをご覧になるお客様。 当時の電話番号は821番でした。 |
昭和30年代の様子(共同鉄筋店舗開店)
静岡大火・戦火と、2度にわたり火事を経験したため、街中の再開発のベースに「防火」というコンセプトが強く意識されました。 現在の三保原屋本店のビルは昭和32年に、全国で初めて防火帯としての機能を持つ共同鉄筋店舗(商店街ビル)が呉服町にオープンしました。 なお、市役所から真っすぐ伸びる青葉公園も防火帯としての機能を期待してつくられました。 電話の普及が進み、電話番号は②0821番に。(現在の電話番号とは異なります。 |
昭和32年共同鉄筋店舗の開店の様子。 三保原屋本店は新月堂と美濃屋に挟まれていました。 7代目社長も趣味として登山を楽しんでいたようです。 | 昭和32年当時の包装紙。 「三つの丸」と「保」を合わせた屋号となり、取扱商品も「家庭文化用品」と記載されています。 | 8代目社長(堀達憲)も静岡まつりに参加。 当時の呉服町通りで撮影。 |
高度経済成長期にはインテリアや衣料分野にも進出
東京オリンピックが昭和39年に開催され、時代は高度経済成長期。 日本の生活様式も土間居間客間からLDKに変化していき、インテリアという言葉が普及してきました。 三保原屋では家庭用品の幅を広げ、絨毯・カーテンといったインテリアや、衣料分野にも取り扱い商品を増やしていきました。 |
昭和40年頃の三保原屋本店の様子
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三保原屋の商品テストモニターの様子
昭和43年から、三保原屋の商品テストモニターが開始されました。
当時は公害などが社会に認識されるようになり、安全や安心に関する議論が盛んに行われるようになりました。
テストモニターでも、商品の利用のしやすさから、安全面まで多くの質問をお客様から頂いていました。
そんなテストモニターの第一回目は中日新聞に掲載され、静岡県下では初の取り組みだと紹介されていました。
初回のモニター商品は、テフロンの魚焼きでした。現在ほどグリルが普及していなかった当時は、魚焼きが一般的に使われていました。 商品について説明をする当社スタッフ。商品テストモニター制度は、現在も行われています。 | 初回のモニター会議の様子。来賓も招いて家庭用品のモニター会議が行われました。 会議の他、手紙や資料でのやり取りも残っています。 |
店舗を増やし、独特の進化を遂げる
8代目・堀達憲の頃には、売上の増加とともに会社としての規模拡大をはかりました。 昭和後期から平成の頃になると、絨毯などをはじめ、海外に直接出向き、買い付けをするようにもなりました。 そして、三保原屋本店以外にも両替町(静岡市葵区)に三保原屋LOFT店をひらき、そして郊外へはNESTという新業態の店舗をオープンさせました。 昭和63年にオープンした三保原屋LOFT店は、オープン当初は1階が雑貨屋、2階がカフェギャラリーという業態。 大きな窓からは青葉公園の青々とした木々を楽しむことができました。 今ではよくみかける業態ですが、当時としては画期的な店舗でした。 (現在では1階は作家ものを中心とした雑貨や衣類、2階は北欧雑貨を中心とした店舗となっています。) NESTは静岡、清水、焼津、富士、浜松と5店舗を展開していました。(現在はNEST焼津店のみ営業。) NEST焼津店は輸入品をはじめとした、ギフト雑貨を多く取り扱っていましたが、現在はカジュアルなアウトドア雑貨や、丁寧にセレクトされたギフトアイテムを中心とした商品へと取り扱いをシフトしています。 お店の目の前に生えている木はオープン記念でいただく花の代わりに、関係者様に協賛していただいて植えたもの。現在では、かなり大きな木に成長しました。 一方で三保原屋本店は平成にかけて近隣の店舗が大きく変わっていきます。 呉服屋を中心としていた呉服町商店街(静岡市葵区)は、現在はドラッグストア・100円ショップ・コンビニ・カフェが立ち並ぶ商店街になりました。 大量消費社会からのニーズの変化もあり、現在は原点回帰し、品質のよい家庭用品や、日本製のもの、天然素材のものを多く扱うようになります。 大手企業ができない、首都圏にはないタイプの強味のある専門店になりました。 現在運営している、三保原屋本店、三保原屋LOFT店、NEST焼津店はそれぞれが独自の進化を遂げて、別々の業態になっています。 株式会社三保原屋は、お客様のニーズにあわせ、時代の流れをつかみながら、様々な商品を用意し、そして今に至っています。 |
三保原屋グループのこと |